ビリヤード場のちょっと変わった経営方法について②
前回の
店主が実行したビリヤード場のちょっと変わった経営方法について①
からのつづきです。
さて、
運営も自動成長システムが組み上がったので
経営して1年経たないくらいから
少しづつ自分の時間に余裕を持たせはじめた。
この頃にはスタッフも増え
通常は他店舗展開など考えることに
なると思うんだけど
ビリヤードへの初期衝動が違う。
ぼくがこの業界にいるのは
当初から自分はビリヤード選手になる。
この目的1つのみだ
お店にいる時間以外は
お酒の勉強もしていたので毎日のようにのんでいた
まあ。この辺が
ぼくのビリヤードへの限界と言う感じ
この辺りでの公式戦結果は
県大会3位が最高。
全国屈指の強豪が集まる千葉県
周りは全国大会のタイトルホルダー多数
10年以上のキャリアを持つプレイヤー
ばかりのステージだ。
このステージには同世代プレイヤーも見当たらない
お店の経営は勿論のこと順調
自分の時間を使って
さらに練習にも拍車を掛けはじめ
いけるかな?
といったところで問題が起きはじめた。
前述したこのテナントビルの所有者。
業界でナンバーワンの嫌われ者(笑)
ここではH氏としよう。
(実際にH氏と呼ばれていた)
この所有者との関係からだ
だれもこの人との信頼関係などは無いという
感じの人で。なにしろ見た目も怖い(笑)
そんな環境でもぼくは常に真摯にこの人に接していた
そりゃ大家さんという事もあるしね
ある時から
かじー。どうしてもお金がいるんだが…
というお願いが多くなって来た
初めのうちはお世話になってますからと
十万円単位で貸していった
もちろん借用書などいただかない貸し付けだ
次第にその期間が短くなっていき
ついに事情を聞くと
テナントビルは第二抵当まで付いていて
破綻寸前。
利息の支払いで精一杯と言う状況だった
それからしばらくして
裁判所から強制執行の通知が来た。
いわゆる強制立ち退きだ
わずか数年だがここには
ひとつの世界があって
これほど愛好してくれるお客さん達に嘘も付きたくない
前任者のように近隣へ店舗の移動なども
ぼくの義理感覚だと不可能だ
さらに言えば
たとえ嫌われ者のH氏でもひとりの選手だ(笑)
ぼくはその時に所有していた全資産をH氏に
委ねる事にした。
だれにも相談せず、誰にも言わず
そんないい加減な野郎ともいえる(笑)H氏にだって
彼の尊厳を守りたいと全力で接した
ただ残念だったのは、この時にとった自分の判断が
大きな誤りだったという事を
あとで思い知らされる事になる。
人は1人ではない。ということからだった
(それについてはまたあとで。)
愚かな行為かもしれない
こういっては何だが
年齢にしてぼくも無知ではないとは思っていた。
それはこれまでの実績も多少は証明してくれるだろう
もともと欲はあまり無い方だが
中学生時は自分で考えた
既存ロムを解析した単純なオートプログラミング
いまで言うところのD/Aシステムトレードで
多少は健全な副業から
安定して月50万円ほどの収益もあったし
まわりの地元の名士のご子息達とも
問題なく遊んでいた。
自分で欲しいものは大体手にしていた感じだ。
住んでいた場所も田舎町だし
変な遊びなどは皆無の街だ
考え方や行動原則は当時も今もさほど変わりない
なりたい理想の自分があるということ。
あとは知識量の違いによる
解答がスマートかどうかが違うだけであって
その後は
自分で出来る借り入れの限界まで借り入れ
店の利益もH氏に手渡し続けた。
これが人生初の借り入れだった
違法利息借り入れも限界まで借りあげた
年利56%とか、日掛けって言葉や
『とさん』って言葉もはじめて知った。
ほんとにあるんだ(笑)って言う感じで
そういった内容になってくると
だいたい悲観的になりそうなものだが
ぼくはいつでも笑っているくらい楽しかった。
だって
そこまでして守りたかった場所が
まだそこにあるんだから。
それから1年半くらい経ったか
それほど期間は無くお店は閉店した。
ビルの所有者移転によるものだ
一階はパチンコ屋というこのビル
金銭的な事情はお察しいただけるだろう
いまとなっては
解決法を立案・実行可能だし
存続は問題ないかもしれないけど
あの時の行動は
人となりの精一杯だったので
恥ずかしくはないと思いたい。
結局この話しはその時から
1年以上の間、たった1人に話しただけで
他の誰にも話すことは無かった。
自分で決めた事は自分に責任があるからだ
誰に言ったところで何かが変わるわけじゃない
悩むなんてことは物事がはじまる前に
とうに終わっている。
その後がどうなったかって?
ここからはちょっと面白い話しになるわけで。
ぼくはその日からとりあえず
月に20万円以上の返済をする事になった(笑)
無職・所持金は40万円無いくらい
持って2ヶ月か。しかも複利だ
20万円では元本が減らない(笑)
23歳だったかな
趣味だった車も売ってお金に換えていたので
あとは10万円くらいのステーションワゴンが1台。
住居は解約済み
寝泊まり出来るスペースはさすがに欲しいから
ステーションワゴンにしていて良かった
場所は佐倉市だったので
さすがに車がないと不便だ。
聞くだけだと。おいおいって感じだけど
やりきった感じと言うか
妙に清々しかったことはとても覚えている。
うん。おれ、がんばったな!と(笑)
さて、これからどうしようかなあ
と真剣に考えていた。
いま考えてもただのアホだ
その時に経営手腕を買われたのか
同業者からそれなりのオファーで数件のお声掛けをいただいたが
丁重にお断りさせていただいた。
その中でもこれは。
というお話しをいただいた同業者の先輩に
最後まで残った店の従業員『Kくん』を斡旋した
こちらからの提示は
いまの既存常連客すべてをその彼に付ける上に
ぼくはこの業界では事業を起こさない。
彼はぼくのやり方をそのままコピー出来るので
大丈夫だ。
という内容だ
それと普通に考えるのは、
家族からの支援だがそれは期待出来ない
両親は10代前半で離婚しているし
母はどこにいるかわからない
祖父までは代々その土地の市、県議会議長を勤めるような家系がぼくの実家だが
ぼくが中学生時の
父の事業不遇によりいまや実家も他人名義だ
出身地での父のあだ名が
『バブルK』と言われていたということを
だいぶ経ってから知った。
父は僕の免許証をいつの間にか拝借して
友人をぼくに成り代わらせて
50万円を工面したというようなこともあった。
親父も自分なりにやりきったんだな(笑)
ぼくにバレた理由は振り込め詐欺が
横行していた頃で
ぼくの携帯にも電話が良く掛かって来ていた
まあ。普通は出ないという対応なんだけど
03−3からはじまる番号だったので
その日はちょっと電話に出てみた。
オペレーターの方から
お支払いの件でという応対なんだが、
あら?
ひとこと声をきいて大きな違和感を感じる
あまりにも本物っぽい。
ちょっと詳細について問い合わせてみた
貸し付けたときの時間記録・経緯など
音声記録は無かったがすぐに確信を持った。
『本物だ』(笑)
父親はぼくが幼稚園児の頃は
数千万の車とか乗ってたみたいだし
幼稚園への送り迎えの車内で
いつも結構な音量で
『ボレロ』が流れていたことをおもい出す。
いま考えれば間違いない
わが父『バブルK』は
絶対世間体を気にしただけに決まっている。
クラシックなど聴くはずが無い
いつもカッコ付けやがって
いつになるか知らないが
こんど会ったときには勇気を出して聞こう。
『あのボレロ。カッコ付けただけでしょ?』って
こう見えて父はもちろん
今は本当に偶然の出会いから再会し
現在は多大のお世話をいただいている母を
心から尊敬している。
そんな父のことは気掛かりなんだけど。
なんとも偶然が重なり
現在の父の掛かり付けの薬局経営者が
ぼくの無二の親友だ
なにか変化があると必ず当日に至急教えてくれる。
先日は肝臓の検査数値、視力などが
即入院レベルの異常状態だということで
ドクターの言う事を聞かない父が容易に想像出来るが
薬局経営者『W』が真剣に向き合って
説得してくれたおかげで回復に向かいはじめたようだ。
あの気丈な父に意見を通すとは、
下げられるだけの頭を下げるしか出来なかったが
心からお礼を言わせていただいた。
『W』とは15年以上の付き合いで
彼にも実父の負債相続十数億円という事案で
親族すべてが敵に。
当該弁護士にまで手がまわるというような
案件で困っていたところを
ぼくが六本木で知り合い親交を深めた
優秀な弁護士を紹介して解決に向かい
深く感謝をされた事が有る。
彼の人柄が成せる技もあったことだろう
困ったときの
『W』から聞いた話しの内容はこうだった。
その時に『W』と親族が雇用したはずの老齢な弁護士は
待ち合わせの時間に2時間遅れて来た上で
こう言ったそうだ
『君は養子になっているが道義的な責任は感じないのか?』
そこからしばらく彼への説教がはじまったと。
その弁護士は今すぐバッジを置いた方がいい
あなたが道義的責任を取るべきだ
あなたの裏側は透けることなく見えているじゃないか。
あとで知った事だが、
彼の実の父も不動産業を起こしていて
ぼくの父と同タイミングで行き詰まっていた。
実は両父も知人だったようだ
『W』の父も
『バブルK』と地元で呼ばれていたんだろうか。
そう彼の旧姓は『K』
なにかと気が合うのはここかも知れない。
『バブル』って呼ばれるという事は
それだけ周囲に利益をもたらした結果の裏返しだからだ。
つづく