TRENTE(トラント)

ダーツが苦手だからダーツ屋になった店主のブログ

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1日のはじまりに感謝すること

 2018年12月29日

「質の良い教育、質の良い商品、質の良い概念」

これって、無作為の集団で共有できるのか?

この答えは本当に難しい。

出来る人もいれば、出来ない人もいる。これでは全く回答になっていないので0点。

「質」の担保を共有するためにはどうするのか?

そもそも、そんなものは必要ないと言えば必要ないもの

だって、日本人同士で言語が違うんだから

公立の小中学校での言語と、私立の学校の言語は違う。

自分が公立小学校に通った時の、あのなんとも言えない違和感は正しかったのか?自分の考えが間違っていたのか?

経験として知りたかった訳で

僕は20代の最後にダーツというツールを使って、公立の学校のような集まりをつくろうと考えた。

優等生がいて、不良がいて、いじられるような子がいて、静かに読書する人がいる。学力は上から下まで縦長

「ドラえもん」とか名作学校アニメのような感じ

ここで、真っ当な正論を続けるとどうなるのか?

やはり人というのは「やりがい」に対する勘違いがないと動かない。

人間は誰かの主観で出来ている訳ではない

習慣は他人には変えられない、でも自発的な気持ちも起こせない。

これって、どうにもならないのか?

 

例えば、堀江貴文さん好きだよ。

と気軽に言うと、誤解されることが多い。

でも、稲盛和夫さんを尊敬する。

と言うと、おお。そうですよね、凄いねとなる。

これだけで、あまりにも前提条件の違いが大きいことがわかる。

誰の何を知って、お互いが意思疎通をしているか?

どの断片を切り取って、会話をしているのか

何のために、時間の共有があるのか

好かれることが大切なのではなく

尊敬されることを大切にすると毎日の生活は素晴らしくなる

毎日、1日がはじまることに感謝して、1日が無事に終わることに感謝する。

こういう気持ちを持つ人は美しい。

自分はこれだけ生きても、まだ心から素直に感じることは出来ていない。

それだけ未熟だということだ

これは、自分の未来に対して
期待していることの証明になっている