本日の羽生さんの一言。
(最近、将棋&羽生さんにハマり気味)
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もちろん勝負に勝つというのも
大事なんですけど
そのためにいつも決まり形でやっていたら
そのことで将棋をやっている意味が
あるのかということに
どうしてもぶつかってしまうんです。
誰もがやっている
決まりきった道筋で振りきってしまうと
結局、人の来た道をただ辿ってるだけ
ということになります。
- 羽生善治 -
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自分程度の経験からでも
わかることがあって、
出来ると感じたことは
ずっと、出来ると思い続ければ
必ず出来る。
これ、本当にその通りだと思う。
自分を疑ってしまうと
大抵のことは
自分を納得させるためだけに
下方修正を余儀なくされる。
そもそも、
何かの物事に取り組んだとき
成功か失敗か?
という線引きがどこにあるのか
失敗したというのは、
途中で諦めてしまうこと
諦める理由をつくってしまうこと
自分に言い訳したときのこと
他人に迷惑をかけてしまうこと
成功したというのは、
自分以外に幸せを分け与えられたこと
目的まで到達すること
代償に対する対価を得ること
こんな感じか。
成功と失敗についての考え方は
かなり個人差があるけれど
学習や経験の内容によっては
結果について、
どちらでも良いとは考えず
行程に多少の無理があっても
迷惑を掛けることになっても
それ以上の幸せを与えることを
成し遂げるのであれば
それは尊いとも考えられるようになるしね
どんなに大きな
非難の声や責任、リスクだって
全て自分が受け入れちゃえばいいんだからね
本当に多種多様な価値観がある
自分の場合、
人間は助け合って生きるとか
一人では何も出来ないとか
そういった定石的な考え方に対して
人生で解決出来ていない問題として
あがらってみたいんだよね。
コミュニティの大切さは
尊いものだと敬意を持っているからこそ
人間と顔を合わせることなく
一方的に与えてみたい。っていう
シンプルなエゴイズムが生まれる。
ってな感じで
お昼ご飯を食べながら
ちょっとした考え事をしたけど…
何が言いたいかって。
果たして、代償のない幸せを
人間は深く幸せと感じることができるのか?
元来は几帳面な僕が
TRENTEに関して
適当な運営方式を取っていたのには
ちゃんと理由があって、
TRENTEを経営することで
得たかったものって、そこだよね
人間同士の垣根という垣根
それが無くなったらそこに何が起きるのか?
経験で学んでみたかったんだよね。
そもそも、
このお店を残した理由なんだから。
僕が感じた結論は
想像していたものに近かった。
ちょっと予想と違ったことはというと、
想像以上にあたたかい
慈愛の精神に満ちた人が多かった。
そもそも期待してはいけないことだけど
もうちょっとだけ、
少ないと思ってたんだけどな。
これには、
自分の幼少期にあった問題が
独自の偏見と価値観を生んでいるのか
ということも確信出来たし
(それは、僕の精神が子供のままってこと…)
では、
こういった慈愛に似たものを与えられる人は
何を代償に幸せを感じているんだろう。
他人の喜ぶ顔
与えたという達成感
単純なエゴイズム
そもそも代償が必要ない
全部、違うんだよな。
他人の悪口を言うこと
他人を非難すること
そう、
自分の胸中で罪悪と感じることを
正当化してるんだよね
自分が良くないと感じている
人間の生き方に対する不器用な言い訳
どちらにせよ、
こういった内容の行動は
自発的に起こしていることなので
尊敬するべき。
書きたいことは
たくさんあるけれど、今日はこの辺で^^
(オチなし)