先日ここに書いた
『珈琲だけの店 カフェ・ド・ランブル』へ
珈琲に砂糖。
ちょっと大袈裟なんじゃないか?
と感じたので
せっかくの休日ということで銀座ランブルへ
↓ 前回来店時のお話し
(銀座ランブルで1954年産の高額なコーヒーに何故?迷わずに砂糖を入れたかというお話し。)
1974年のキューバ&1993年のブラジルを注文
93’ブラジル
良く味が凝縮されていて
柔らかく練り込まれた酸味
奥行きのある余韻
今まさに最高のバランスという一杯
74’キューバ
枯れきっているほどではないが
静かに呼吸する鋭い酸味・甘みはほぼ感じない
バランスという意味では
やはり糖分が不足している感じ。
そのままストレートで嗜むのであれば
93’のほうがバランスが良く
まさに今が飲み頃というところ
ここで問題の砂糖を投入。
74’キューバ
うねるような味わいへ一気に変化
完全にひとつとは言い切れないが
文句なしに『旨い』。
なんだかもうわけがわからない液体だ
スプーン1杯づつ砂糖を足していき
大さじ3〜4杯ぐらいの砂糖を入れた。
端から見たらおかしな感じに見えるかも
ちなみに珈琲の量は50cc
ワンショットグラスだ。
珈琲の量に対して砂糖を半分くらい
入れたことになる。
93’ブラジル
ストレートで最高のバランス
加糖しては駄目だと感じていながら
試しにスプーン1杯の砂糖を入れてみた
糖分が目立つ。
意志を優先して砂糖を足したことにより
ひとつの作品を壊してしまった感じだ
これは珈琲を入れてくれたマイスターに
とても失礼だろう。
ほんとうに思う
こう言った真剣な作品に触れるときは
自分の意志よりも
その『声』に耳を貸すことが重要だ。
ワインの場合
『ワインの味わいって何ですか?』
という質問には
こう応えるようにしている。
ただ、
『素直になれればワインが教えてくれます』
ほんとうにこれだけ。
しかし、これがとても難しい。
そこに辿り着くまでに沢山の知識・経験が
あるなかでよくわからないものに対して
すべての身を委ねるのだ。
そんな素直に向き合ったときだけ
ワインの方が自分から自己紹介をしてくれる。
真剣なワインでない場合は
そのワインが真剣ではないことが
すぐにわかるようになる。
一杯の珈琲でここまでの感覚を味わえる
『珈琲だけの店 カフェ・ド・ランブル』
ぜひ1度は経験していただきたい名店だ。
一般的に嗜む機会の少ない
ワインからこれを感じようとしたら
途方も無い時間が必要になるだろうし
人間同士の付き合いからだったら
生涯感じることなく終わることだって
あるかも知れない。
カウンターの他客はすべて外国人。
マイスターの手もとを動画撮影している
隣りのお客さんもいたけど
その一瞬の真剣さは映らないだろう
一目でわかる。
マイスターには珈琲豆の声が聴こえている
先日はとても忙しそうで
マイスターには話しかけられなかったが
ぼくは写真は上手に撮れないけど
次回来店時には
その声を聴いている瞬間を許可をいただいて
撮影して見たいと思います^^
あー!とか。うー!とか
いいながら珈琲を嗜んで来たけど
あんなに穏やかそうなマイスターの笑顔は
見たことが無かったので
喜んでいただけたかな?と勝手に思ったりして
お会計を済ませたあとの帰り際、
お手伝いの方から
1954年産の珈琲豆はもうなくなってしまったと
丁寧に説明をしてくれた。
再度入荷することもない。とも
そのレジ先の男性は前回来店時はとても
無愛想だった気がしたんだけど
前回は自分の真剣さが足らなかったのかな
失礼なことをしてしまった。
ランブルの伝統が続いて
20年後にまた伺えたら1974年産の豆も
年数的には1954年産と同じ。
20年。言葉でいうのは簡単だ
1954年産の時のような打ち震える感動とは
また違ったが、
これからの楽しみを与えていただいた。
必ず20年後に
一杯1000円以上するこの珈琲を飲みにこよう。
そのためにも今を頑張らねば!
今回は一杯の珈琲のお話しでした!